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理想の猫じゃない / インベカヲリ★

  • 理想の猫じゃない / Kawori Inbe
  • 理想の猫じゃない / Kawori Inbe

理想の猫じゃない

Photographer

インベカヲリ★

Kawori Inbe

2019.02.13(水)〜2019.02.25(月)

11:00 - 19:00 (初日は14:00から、最終日は17:00まで)*会期中無休

アメリカ橋ギャラリーでは、2年ぶり3回目の写真展になります。

人の頭の中を覗いてみたいという欲望がある。人は見た目だけではわからない。特に女性の場合、表の姿がごく健全で今風であれば、どこにでもいる人に見えてしまう。しかしその裏で、まったく想像もできないような背景や考えをもっていたりする。
写真に写るということも一つの表現行為だから、何か言いたいことをもっている女性は多いと思う。人生の変わり目だったり、問題が起きている真っ最中だったり、解決しない悩みを抱えていたりなど、心が揺さぶられているときに私の前に現れる。たとえマイナス面であったとしても表現したいという感性は女性特有だと思う。私が女性だけを撮るのも、そこが魅力だからに他ならない。
タイトルの「理想の猫じゃない」は、ある事件の犯人の台詞だ。2017年10月、北九州で当時高校の臨時教職員をしていた男が、飼い猫を次々に殺し、計20匹を燃えるゴミとして捨てていたため動物愛護法違反容疑で書類送検された。犯行動機について男は「理想の猫じゃないから殺した」と主張、「呼んだらすぐにやってきて、体を触らせて、きちんとトイレをするのが理想の猫だ」と供述した。
この台詞を聞いたとき、私はなんともいえない衝撃を受けた。学校教育そのものだと思ったし、社会の本質を一言でよく表しているとも思った。しかも学校の先生というところが、まるでブラックジョークのようだ。
言うまでもなく犯人は、犬の性質を猫に求めている。自由気ままな猫に対し、従順さを求めること自体に無理がある。「理想の猫」など猫界にはなから存在しないのだ。
しかし人間にとっては、他人が求める理想を演じているほうが、自分を貫くよりもはるかに容易い。世間は「理想の猫」に擬態した人で溢れている。どう頑張っても「理想の猫」になれなかったとき、あるいは「理想の猫」からの脱出を試みたとき、人は社会に殺されるリスクを背負うことになる。
「理想の猫」は、生まれ育った家庭それぞれにもあるし、教育、文化、性別、時代によっても存在する。企業に入れば、その組織における「理想の猫」になる必要がある。直接的に言われなくても、広告や商品やすれちがう通行人との比較で「あなたは理想の猫じゃない」というメッセージを受け取ってしまう。人と人が関係すれば、そこには必ず「理想の猫」が発生する。
けれど一方で「理想の猫」という基準をもとに、人は自分という存在を考えるのかもしれない。自分はどうしたいのか、何をすれば幸福感を得られるのか、人生における役割とは何か。考えることで言葉をもち始める。
日々、情報を浴びる生活の中で、自分が本当に考えていることを探し出すのは至難のわざだ。うっかりすると、どこかで聞いたことがある台詞を自分で考えたことのように話してしまう。逆に、簡単には言葉にできないほどの感情は、凄まじいリアリティをもって心に響く。それは、私が女性たちから話を聞いていて感じることだ。向かい合って対話を続けているうち、独特な表現や価値観がふいに飛び出し、個人の存在が生々しく浮かび上がってくる瞬間というのがある。一人ひとりは、こんなにも多様なのかと感動する瞬間がある。だから人間は面白く、写真の中で存在感を放つのだと思う。

●イベント
レセプションパーティー:2月13日(水)18:00~